波汐國芳妻「波汐朝子さんも歌人」福島高齢暴走事件 | Hipo Times
福島県高齢者暴走事故

波汐國芳妻「波汐朝子さんも歌人」福島高齢暴走事件

福島県高齢者暴走事故
19日午後4時45分、歌人波汐國芳容疑者は福島イオンモールで軽自動車を運転中車を棒素すさせ、車3台に衝突し6人が死傷する事件を起こし、注目を集めています。

波汐國芳(なみしおくによし)容疑者と妻波汐朝子との思い出の海岸・歌集に秘めた妻・波汐國芳容疑者の妻への思い・妻朝子さんの歌・妻病気・妻死因・情報を調査掲載しています。

 

追記:波汐くによし容疑者の妻、波汐朝子プロフィール

名前:波汐朝子(なみしおあさこ)
亡くなった日:2018年9月10日
年齢:89歳
職業:歌人
亡くなった病気:33年前に克服したはずの左乳がんが再発時期が福島原発とい重なり、被曝のせいと歌っています。
歌集:「花渦」

歌誌:『翔』第63号、平成30年4月発行に掲載

被災七年経てど山菜食べられぬ福島に未だ山は戻らず
汚染土の山消えたるもその跡の怪しき気配に近寄り難し
三十三年前癌に克ちたる吾なるに又も癌とは被曝のゆゑか
「われよりも先にゆくな」と卒寿をば越えし夫より鞭打つことば
被曝より七年経つもわがめぐりセシウムゆゑに小鳥ら寄らず
(『翔』第63号、平成30年4月発行)

波汐國芳容疑者の妻「先立たれてしまった」

波汐國芳容疑者の妻について調査していきます。波汐國芳容疑者は福島の自宅に住んでいることがわかっています。そして調査すると波汐國芳容疑者の家族は4人で、妻と娘さんと息子さんがいることがデイリー新潮の記事で報道されています。

奥さんは3〜4年前に亡くなっています。年数にすると2018年〜2019年に亡くなったことがわかっています。亡くなった後に出された歌集鳴砂の歌に死因を歌にしていることがわかっています。

癌に妻と共に戦い、長い間支えあってきた最愛の妻への挽歌も胸を打つ「癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ」この歌で奥さんの死因がは癌でな亡くなっていることがわかっています。

妻を失って歌で残すところがまた歌人として粋なところがあります。また歌から「福島に住み逝きにし妻ぞ」というところから福島に妻がいると取れます。

そして波汐國芳容疑者は妻が亡くなってからの3〜4年は、娘・息子のところに行くのではなく福島に残ることを選んでいるのです。

3~4年前に妻を亡くしてからは、ずっと一人暮らしだった。 「ヘルパーさんが週に何度か家に来て、身の回りの世話をしています。どこか体が悪いのかリハビリ専門の方も出入りしていました。娘さんと息子さんがいますが東京に住んでいて、たまに帰ってくるくらいです」
デイリー新潮 より引用)

数年前に妻に先立たれて独り暮らしだったらしいね
子供はいるが同居はしてなかったみたい
やっぱり人間最後は独りなんだな
波汐國芳容疑者は妻の朝子さんに言っていた言葉だ手に取るようにわかります。自分より早く行くなと言って本当に生きていてほしいから言っていた言葉を受け止め歌にしていたようです。
「われよりも先にゆくな」と卒寿をば越えし夫より鞭打つことば
(歌集 翔 著者波汐朝子から引用)

波汐くによし妻「妻への思いを歌に残す」

波汐國芳容疑者は福島県原発への怒りを発信し、波汐國芳容疑者と共に戦い、を陰で支えてくれた最愛の妻の挽歌を歌集 鳴砂の歌で残しています。

癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ
癌で亡くなった妻、被爆地の福島に住んで亡くなった妻よと取れます。奥さんが大好きだったことが伝わってきます。
そんな妻は3〜4年前に亡くなって、息子夫婦の所に行くわけでもなく、今は妻と過ごした家に一人で住んでいる事がわかっています。
歌のように福島に住み逝き妻よというように、妻がいる福島に残ることを選んだ波汐國芳容疑者は優しい人だったのがわかります。

砂が鳴くのか、人が哭くのか。福島のいわきから原発への怒りを発信し続ける第15歌集。ともに戦い、長い間支えあってきた最愛の妻への挽歌も胸を打つ。

妻の挽歌を歌った歌集は鳴砂の歌になります。

癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ
砂が鳴くのか、人が哭くのか。福島のいわきから原発への怒りを発信し続ける第15歌集。ともに戦い、長い間支えあってきた最愛の妻への挽歌も胸を打つ。〈癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ〉

 

波汐クニヨシ妻との思い出「歌集の鳴砂の歌の鳴き砂は豊間海岸」

現在は震災10年経過し、波汐國芳容疑者と妻との思い出の海岸ではなくなってしまっていますが、まだ豊間海岸はとても綺麗な海岸になります。
今もこんな素敵な海岸です波汐國芳夫妻の若い時はもっと自然が多く綺麗だった可能性もあります。妻との素敵な思い出を歌に残している波汐國芳容疑者が凄惨な事故を引き起こしたことが残念です。
今は防波堤に防風林の植樹綺麗に整備した海岸ですが、東北地方太平洋沖地震2011年3月11日はひどい状況だったのです。

そして、歌集の名前に鳴砂の歌となっています。鳴き砂、鳴り砂は、一般的にはロッククリスタル、日本名では水晶・石英粒を多量に含む砂で、歩くなどの急激な砂層の動きにより表面摩擦を起こし音を出す現象です。

日本国内で鳴き砂で有名なのは、十八鳴浜(くぐなりはま、宮城県)、琴ヶ浜(石川県)、琴引浜(京都府)、琴ヶ浜(島根県)をはじめとして多数の鳴き砂、鳴り砂の海岸が存在すします。

実は福島にも鳴き砂が存在しています。そこは、いわき市の塩屋埼灯台周辺の豊間海岸にあるのです。 そして、震災の津波のせいで海岸の砂が流され、鳴き砂の性質が失われつつある海岸でもあるのです。

震災の事、福島原発の事、妻との思い出を生まれた地の豊間海岸ではなく、鳴砂の歌と呼んでいるのです。

なみしおくによし妻の病気「死因は左の乳がん」

波汐國芳妻の死因は癌だったことは鳴砂の歌でわかっています。しかし、歌集からは、何の癌だったのかはわかっていないのです。

しかし、この写真を見てもらうと死因は左の乳がんの可能性が出てきます。

右手には力が入るから杖を持ち、左手と左足に多少のむくみを持ち、左足は体重をかけないように引きずっているように見えます。また胸部を見ると、左右差が強く、左胸が明らかに小さいのです。

左の乳がんの場合リンパ節切除の関係で左手と両下肢に浮腫がです可能性があります。

そして波汐朝子さんの歌集にもあります。

「ダムのため削がれし山の痛み知る片乳のみの吾なればこそ」
ダム建設で削られた山の痛みを知るのは片乳のみ自分ならわかると取れる歌です。乳がんだったことがこれでわかります。

妻が亡くなった時波汐國芳容疑者は93歳前後この時も、波汐國芳容疑者は足が浮腫んでしまって不自由な妻のために、乗用車を使って病院の行き帰りだけでなく、生活の全部をサポートしていたのです。

そのためには車は重要な移動手段だったことが容易にわかります。

波汐國芳妻、波良朝子も福島の歌人

 今回読ませていただくのは波汐朝子歌集『花渦』(雁書館、2004年5月刊)だが、福島の歌人である著者は、まことに哀惜に堪えないが、今年9月10日に逝去(享年89歳)された。

朝子さんの夫である波汐國芳さんから喪中のお葉書をいただいて知ったた。「失った妻の存在は何物にも代え難いものではありましたが、ともに歩んだ日々を胸に抱き心持ち新たに新年を迎えたいと存じます。」と記され、また「波汐朝子が歌人として病に負けずに闘い抜いた記録『花渦』より一首をしたためます。」として、朝子さんの歌、「ダムのため削がれし山の痛み知る片乳のみの吾なればこそ」があげられていた。

筆者は、電話で失礼ではあったが心からのお悔やみを申し上げるとともに、歌集『花渦』についておうかがいしたところ、さっそくお送りいただいた。波汐朝子さんには、國芳さんにお願いごとの電話を差し上げた時、何回かお声をお聞きすることがあっただけだが、この連載の中で歌誌『翔』を読ませていただいきた中で朝子さんの短歌作品を読み、感銘を受けることが多かった。

波汐朝子さんのご逝去はまことに口惜しく、悲しい。

波汐國芳容疑者の妻である波汐朝子さんは2018年9月10日にに亡くなっています。波汐くによし容疑者は、4年前から一人暮らしになっています。

波汐朝子さんの歌です。これは歌誌「翔」に掲載された歌になります。この歌から色々なことがわかります。

33年前に癌になった事、そこから癌を克服し、癌の再発したこと、卒寿越えたの夫から先に逝くなと言われていること、被曝から7年セシウムがあるから小鳥もよらないなど自分が被曝していることも言っています。

どの歌も情景がとってもわかりやすい歌になっています。夫婦で同じ趣味・仕事って本当に仲が良かったことがわかります。

被災七年経てど山菜食べられぬ福島に未だ山は戻らず
汚染土の山消えたるもその跡の怪しき気配に近寄り難し
三十三年前癌に克ちたる吾なるに又も癌とは被曝のゆゑか
「われよりも先にゆくな」と卒寿をば越えし夫より鞭打つことば
被曝より七年経つもわがめぐりセシウムゆゑに小鳥ら寄らず
(『翔』第63号、平成30年4月発行)

波汐國芳容疑者の起こした事故「凄惨な現場」

事故を起こした現場は福島県福島市にあるイオンモール福島店の出入り口になします。時間は16時頃だったそうです。この時間帯は混んでいることもあり、車通りも多かったそうです。

イオンモールの出入り口で見通しがいい道路になります。ここで波汐國芳容疑者は軽自動車のアクセルとブレーキを踏み間違えて事故をおこし、車3台と6人の死傷者を出した凄惨な事故を起こしているのです。

波汐國芳容疑者は97歳です。しかし、見た目には70歳後半くらいの見た身だったそうです。車運転できて、自由に移動していた時点で、介護認定もほとんどいらない状況でに一人で過ごしていたことになります。

波汐國芳容疑者の車はまずは最初に川村ひとみさんと接触、その後3台の自動車に次々と接触して、3台目の車でようやく止まったことがわかっています。

川村ひとみさんはお子さんと一緒にいたようで、子供の叫び声が辺りに聞こえていたようです。川村ひとみさんは頭部外傷が原因で亡くなっている事が報道されています。

波汐クニヨシ容疑者は車が暴走しはじめ他時に1台目の車を避けようとしたのか、左側にそれています。しかし、その先には川村ひとみさんがいて接触いてしまっています。

1台目の車の接触部分は左後部になります。波汐國芳容疑者は必死て避けた先に川村ひとみさんがいてその後車に次々と接触していいます。

2台目に接触した車は介護施設の送迎車の車になっており、この車には4〜6人軽自動車なので制限一杯まで乗っていたことになります。

4〜5人の中に100歳の女性が乗っていたことがわかています。

 

 

事故後なみしおくによし容疑者は川村さんのすぐそばに座り、ショックで呆然と座っていたことがわかっています。

事故から5分過ぎたあたりで救急車が到着し、最初は川村ひとみさんを搬送したようです。そして2台目の救急車で波汐國芳容疑者が搬送されたそうです。

 

後からの波汐國芳容疑者の息子さんである波汐瑞夫さんへのインタビューでこれまでに事故を起こしたことはありませんでしたとコメントがあります。

しかし、今までは事故はなくても今後は事故の可能性は考えていたのか調査しています。

実は家族親族は波汐國芳容疑者の今後も見据えて事故前日にタクシー会社と話していることがわかており相談内容をまとめています。

相談内容
・今後運転を控えてもらうために家族で段取りしたいこと
・タクシーの利用について便宜を図る方法
・本人が抵抗がない支払い方法
この3点を事故前日にタクシー会社と話していたのです。
近くのタクシー会社社員:「まさに先週の金曜日ですね。事故の前日になりますが、ご家族からご相談受けて、(家族に)高齢の方がいらっしゃると。運転を今後控えて頂くように、家族で段取りをしたいけど、その際にタクシーのほうの利用について便宜を図る方法はないかと。支払い方法とかですね。その本人が抵抗なく、お使い頂ける方法はないかというご相談があった」(「羽鳥慎一 モーニングショー」2022年11月22日放送分より)

 

 

 

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